第1回 事業を始めた経緯
大企業は私に合わない
初めて就職した大手時計会社で、私は時計部品の一つである地板に専用工作機械を使って加工する部署に配属された。会社は一部上場の立派な優良企業であったが一つのフロアーに300人も働く製造現場が私の性格に合わず、間もなく私は悩み始めた。ここでこのような仕事を続けて納得できる人生を送れるだろうか。そのようなことを真剣に悩みながらもボディビルや登山の同好会に入り、楽しみながら会社は続けた。
2年6ヵ月後私は意を決し会社をやめた。一人でもよいから独立して仕事ができる場を自分で創りたい。その方が納得できる人生を送れるのではないかと思ったからである。私は昼間親戚の食肉問屋でアルバイトをしながら夜は新宿にある専門学校建築科に通う生活を始めた。当時は昼間働いて夜学ぶ人が結構多かったので、級友の働く建築関連会社を何社も訪ね仕事を研究した。しかし2年間はあっという間に過ぎ、建築の知識は少し身に付いたが、将来どのような事業をしたいかは、わからないままだった。
設備設計事務所に就職
卒業間際に、これからのことについて学校の先生に相談したところ、ちょうど人を欲しがっている建築設備設計事務所があるから、そこに行ってみないかという話があった。設計業務は俯瞰的に物事を見る習慣が身に付くという説明を聞き起業には役立つと思った。将来何をして独立するかはわからないがこれは良いスタートになるかもしれないと考え、大成建設元幹部だったT氏が開設して間もない設備設計事務所に就職した。仕事は会社に来ていれば自然にわかってくるという考え方で教育期間などというものはなかった。建築設備については専門学校で少し触れた程度だったことと、トレースなどの下働きだけの毎日でなかなか設計業務に入り込めなかった。そこで就職して4ヵ月目に所長に願い出て夜間は建築設備専門学校に通わせて頂いた。入学し3カ月たった頃から事務所でやっている仕事の内容が次第に見えて来た。「先輩、その仕事、私にも手伝わせてくださいよ」などと話しかけて、自ら仕事の確保に励んだ。その頃から面白いように仕事を覚えられるようになり楽しくなった。小さな会社ながら所長の経歴から仕事は立派な物件に恵まれた。仕事は面白く、設計しては工事監理に現場に出かけた。大手ゼネコンの主任や設備工事会社の現場監督から「中林先生、ここはどのようにしたらよろしいでしょうか?」などと質問を受け、それにテキパキ対応するなど気持ちよく仕事をこなした。自分でじっくり考えて計画し計算し図面を描くと、質問に答えられないことはないものだと感じた。また時には先輩の遠方出張の代行を願い出て、北は根室、西は徳島などまで積極的に飛び回った。自分が設計した通りに現場が出来ていくのを目にして最初は恐ろしくなったが、次第に自分の仕事の責任の大きさに誇りが持てるようになり良い仕事に就いたと感じた。ここで約5年間を過ごしたが、工事現場に出入りし現場の人達の話を聞くうちに設計事務所より工事会社を興した方が事業としては面白そうだと思えて来た。
先輩に相談したところ、「工事は大変だぞ!!設計事務所とは全然違う世界だ、やめた方が良い、後悔するぞ」と言われた。少し不安になったが私の気持ちは変わらなかった。所長初め先輩にお世話になりながら折角ここまで仕事を覚え事務所の戦力にもなってきたのに誠に申し訳ないと感じながらも、工事会社で施工の仕事を覚えようという気持ちに火が付き、意識はどんどん前に進んだ。所長に頭を下げてお詫びをし、承認を得て退社した。
工事会社で経験を積む
退社すると私はすぐに工事会社廻りを始めた。そして、水道工事店、土木工事会社、空調工事会社で、独立のために勉強させて欲しいとお願いをしながら働かせて頂いた。各社たった1年とか1年半の勤務だったが、どの会社もすごく親切で私の独立のための経験蓄積に協力してくれた。この時の経験を通して本気で頼めば世の中は協力してくれる人達が大勢存在するという感覚が身についた。これからという若い私にとって大切なことを学んだ。工事会社に移り最初はたんへんだったが自分で事業を起こすことが目的だったので、実行予算書を自分で作成し、工事管理中にも工夫して利益を増やすことが、とても楽しかった。
独立
志を立ててから約11年間、できる準備はほとんど済ませた。資本金蓄積、技術資格取得、仕事の経験蓄積、周囲への協力呼びかけ、会社設立、事務所と倉庫の建築、入間市指定水道工事店許可取得準備等々である。
そして念願叶って昭和55年5月29日、資本金200万円の中林工業有限会社を創立した。32歳の時だった。最初から人を雇う自信がなかったので一人で始めた。独立の翌年結婚し妻(現在専務取締役)が加わったのでたいへん助かった。
最初は建築設備工事設計施工を営業品目にしたが、とにかく社員0実績0では仕事が受注できないことを知った。そこで、住宅の水道工事に的を絞ることにし近所の個人宅から挨拶廻りを始めた。すると漏水しているからすぐに直してくれとか排水が詰まったから直して欲しいなどの仕事ばかりが入って来た。職人の経験はなかったので、すぐに手配したが、職人さんはなかなか動いてくれなかった。いつになったら来てくれるのかなどと叱られてばかりだった。そこで一旦店を閉め、他市の水道工事店に職人見習いを願い出て配管や便器などの器具取付方法などを7ヵ月教えて頂いた。それで緊急依頼は自分の手で処理できるようになった。
その後、かねてより準備していた市水道工事店の許可が降りたので、地域の工務店さんにお願いに行くと親切に仕事を出してくれた。新築工事が取れるようになると外注の職人さん達の協力も取りやすくなり事業は軌道に乗り始めた。