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2024/02/16 ジェルコの履歴書

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ジェルコの履歴書其の七 株式会社アイライフ②

ジェルコの履歴書其の七 株式会社アイライフ②

第2号 ジェルコ入会

ジェルコとの出会い

水道工事店経営が順調に回り始めた一方でエンドユーザーに直接トイレリフォームなど勧めてみたい気持ちが強くなってきた。いわゆる元請けがしたかった。しかしそれを表立ってすると仕事を頂いている地元の工務店さんに嫌われ、仕事が減るのではないかという心配もあった。そこで私は大手ハウスメーカーならそのようなことは全く気にしないと思い、指定店目指して住宅展示場廻りを始めた。どこに行っても断られたがM林業さんが池袋に支店を出すという情報を得、その後はここだけに集中して通い詰めたら運よく指定店になれた。それからというものは所沢から秩父のサルが住む山奥まで、目が回る量の仕事が来るようになった。徹夜で工事しないと間に合わないくらいになり、夜中の12時頃、日高市の大規模分譲地で雪の降る中、屋外配管工事をしている職人達に夜食の手作りおにぎりを持って行ったこともある。予定していたリフォーム営業など考える暇がなくなってしまった。そんなある日、TOTO情報誌を読んでいると、水道工事店がリフォーム事業を始めて成功している記事が目にとまった。読んでいくうちに、その会社のもっと詳しい内容が聞きたくなった。その会社は横浜にある正和工業さんだった。手紙を出すとすぐに返事があり「どうぞ来てください」という暖かい言葉を頂いた。訪問するとリフォームを担当している佐藤専務が対応してくれた。話が進むうちに、「そんなに興味があるのなら日本増改築産業協会という増改築の全国組織があるから入会するといいよ」とアドバイスをしてくれた。この佐藤専務はジェルコ創業メンバーだった。私は帰社するとすぐに入会の手続きをした。

間もなく日本増改築産業協会から入会許可の通知があり、中林工業はめでたく入会した。1987年のことだった。

佐藤氏と門脇氏

熱気にびっくり

「なんてすごい熱気だ!!こんな世界があったのか?」

私が入会した1987年(ジェルコ発足は1983年)に宮城県作並温泉で開催された日本増改築産業協議会第3回全国実践研究会に参加した時の実感である。目を閉じるとあの時の熱気、ざわめきが脳裏にありありと蘇って来る。とにかくすごかった。

会場で、リフォーム事業先駆者の人達や、これからやろうと意欲を燃やしている面々に会い、様々な話を聞き私の心は増々躍動した。これからはリフォームで間違いない、よし、俺もやるぞ!! と意気込んだ。独立後、市の指定水道工事店として事業を続けて来た私にとって、メイン顧客は建築業者さんであった。しかしリフォーム事業は住んでいる個人のお客様から直接仕事を受注できる、つまり元請けになれる立場だ。そのチャンスが今、目の前に出現したのだ。それを強く焼き付けられた実践研究会であった。また、今考えると滑稽であるが、住宅リフォームが事業として成り立つものなのだということが初めて肌で実感できた。熱気に満ち溢れた2日間はあっという間に終わった。

帰途の列車の中で私の胸は踊り、地に足が着かないくらい気持ちが上気し、夢は果てしなく広がって行った。

 

増改築大学校

ちょうどその頃、ジェルコの谷口会長が「増改築大学校」を主宰していた。意欲はあるものの基礎となる建築業の経験は全くない、最初にどのようにお客様を集めればよいのかも皆目わからない。そういうことを教えてくれるというので藁をも掴む思いで入学した。大学校と行っても4泊5日の短いものだったが、その内容が新鮮で楽しくて5日間の日程はあっという間に過ぎ去った。会社に帰って一日も早く学んだことをやってみたいという思いで心は弾んだ。

谷口会長は協議会創立と活動だけでなく、このような教育事業で我が国リフォーム業界発展の礎を築かれたことは紛れもない事実である。当時建設省(現在の国土交通省)からも一目置かれていたと聞いたことがある。

 

新社屋建設と事故事件多発 ある晩不思議な現象が

増改築大学校卒業後、私は年利6.5%返済期間50年で7500万円の融資を地元信用金庫に申し込み、水道工事店ではなくリフオーム会社らしい社屋を建て退路を断った。これを境に水道工事業よりリフォーム事業に意識が大きく移り始めた。それが水道工事部門社員の不信反感を買い不満が蓄積、現場事故やクレームが多発した。新築現場の大工さんから、「今天井から水が流れているすぐに直せ」「この仕上がりは何だ、社長見に来い」から始まり、社員からは「社長、交通事故を起こしてしまいました。」等々、目の回る忙しさの中でいつ何が起こるかわからない恐怖の日々が約一年続いた。しかし不思議なテープとの出会いがあり、乗り切ることができた。不思議なテープの内容は次のようなものであった。「あなたの今の苦しみはあなたが今までやって来たことが原因で起きています。冷静に自分を振り返り、謙虚な心でその原因を探し、探せたら直してください。そうすれば、状況は次第に好転します」。

私はこのテープを毎晩、ベッドに横になって聞いた。繰り返し聞いているうちに次第に原因が何であるかがわかり始めて来た。それは

リフォーム事業を始める意味を社員に丹念に説明することが不足していたことであった。私自身の頭の中と社員の頭の中にあるイメージには大きなギャップが生まれ、私の行動に社員は自分自身の立場に危険を感じ仕事に集中できなかった。それが事故や事件に繋がったのではないかと気づいた。それを元に私は少しずつ話し方や動き方を変えていった。その結果、約一年後ほぼ事態が収拾した。

ところが、ほっとした矢先、私は夜中に異常な状況に襲われた。寝ていた体が宙に浮き上昇し始めた感覚になった。次第に加速が加わり暗い宇宙の果てに吸い込まれてしまいそうだった。私は焦った。ここで死にたくない。声を出し家族を起こし、救急車を呼び病院に運んでもらった。一時血圧が200近くまで上がっていたが、点滴を受けベッドに横になっているうちに落ち着いた。幸い面倒な病気はなく過労と診断され翌朝には帰ることができた。しかしその日から体調がすぐれず、仕事に意欲が湧かず、すぐ疲れ、何をやっても身が入らなかった。このままでは危険と感じた私は水道工事業はやめリフォーム事業一つに絞ることを考え専務に相談した。しかし、その頃はまだ水道工事の売り上げが経営の基盤であったから転換には危険と恐怖を感じた。それでも専務とじっくり検討し、最終結論として、リフォーム事業一つにすることにした。そのことを社員全員に説明し協力を求めたところ、水道工事部門の社員は嫌がり、ひとりまたひとりとやめていった。最後は私、専務、リフォーム部門の社員2人とパート社員の計5人になってしまった。社屋建築の借入金返済に加え大幅な受注激減から経営は、非常に苦しい状況になってしまった。

回復と積極的活動

ところが若かったこととリフォームの将来に明るい夢を描いていた私は、ジェルコでの楽しい活動もあり心は明るかった。市指定水道工事店の看板を返却した後は、休日当番等の義務や同業者組合との付き合い、市指定工事店としての縛りから解放され、個人顧客開拓に集中することができた。集中することで成果が出て来て、心配していたより早くリフォーム事業を軌道に乗せることができた。

ジェルコに入会してすぐにやったことは関東甲信越支部の役員を自ら願い出たことである。役員をした方が親しい人が増え、仕事を覚えられる機会が多くなると言われたことがその理由だった。それに加え全国で開催されるイベントにも頻繁に参加した。参加するとその地域の人達とも親交が生まれ知識の吸収の引き出しが増えて来た。私はセミナー等に参加すると積極的に沢山の質問をした。そして後日アポを取って講師の会社を訪ねた。訪問するとセミナーでは聞くことができなかったことや、準備していった沢山の質問に時間をかけてじっくり教えて頂くことができた。とてもやさしく親切な先輩会員ばかりで感激した。このような活動の結果、いつでも電話できる相談先が全国に広がった。

 

本部役員に

私はどこに行っても誰よりも多く質問したので目立ったようである。そういう動きが原因か、ジェルコ入会後5年目の1992年10月の総会で本部理事に任命された。本部の会議はこれまた楽しかった。当時の役員の中には個性の強い人達が闊歩していた。戦国武将や野武士のような人(谷口会長・門脇理事長・喜多支部長・森崎委員長等々)が多かった。また大学教授のように知識が豊富なだけでなく理路整然と流れるように話をする人(中村副会長)もいた。会議でも懇親会でも熱くなる人が多く本当に面白かった。私は組織強化委員会の副委員長として、近畿ハイムの社長で近畿大学応援部出身の森崎委員長の下で仕事をした。私とは全くカラーの違う人だったが森崎さんの性格が好きで、いっしょに仕事をするのが楽しかった。当時の森崎さんは人気絶頂で全国あちこちに呼ばれ講演をしていた。

理事をしている時に私は通産省(現経済産業省)の委員会にも出向した。双葉商会社長で副会長を何期も務められた中村正實さんの下で、分科会の副リーダーとしてリフォームアフターサービス基準を完成させた。全体会議では後に女性で初めて知事になった太田房江さんも参加された。このような環境に身を置き、国の基本となることに自分の意見が盛り込まれることに体が熱くなった。この時に初めて業界と国とのかかわり方を少し知ることができ興味深く面白かった。

以上のようにジェルコに入会した結果、私の毎日の過ごし方は以前よりはるかに濃いものとなった。

門脇氏(左から2番目) 喜多氏(中央) 谷口氏(右から2番目)

森崎氏(左) 喜多氏(右)

門脇氏(左)中村氏(右)

私(左)高木氏(中央)伊藤氏(右)