『一度限りの人生、自分のやりたい事を正々堂々と思い切りやる』
私は戦後農地解放で豊かだった田舎の地主から貧乏農家になってしまった喜多家の長男(戸籍は次男)として昭和20年5月26日に生まれました。
そんな環境で育ちましたから、周りから「昔は良かったのに、今は落ちぶれて」とか「親父はお金もないのに見栄ばかり張って」そんな言葉を耳にしながら生きてきたので「今に見ておれ、商売して金持ちになって見返してやる」との思いが人一倍強い反抗的、攻撃的人間でした。
私の父は大学卒でしたが長男で、自分がやりたくない農業を仕方なく後継ぎしたので仕事に対しては無気力でした、そして何時私には「お前は自分の好きな事を思い切りやりなさい」と子供の頃から言われていたので、私の人生観「一度限りの人生、自分のやりたい事を正々堂々と思い切りやる」が自然に出来上がりました。
ですから社会人になっても、社長と会社の方針、考え方が合わず対立したり、とても会社勤めが長くできるタイプでは有りませんでした。
そこで昭和45年8月1日に喜多室内装飾として創業いたしました。私は高校生の時に目標が無い、みじめな生き方を体験をしましたから、創業時から5年間で達成する4つの目標①5年以内に石川県インテリア事業共同組合で一番になる。②5年以内に社屋を建てる。③5年間は手形を切らない。④5年間は乗用車には乗らない。を明確にしてスタートいたしました。
部屋には「真剣勝負」の額を掛けて、四季を忘れてがむしゃらに働き、お陰で全て5年以内に目標達成する事ができました。
それは今日の基礎になっていると確信しております。
喜多ハウジング株式会社設立の決意
昭和54年3月1日にインテリア増改築専門の会社として資本金1000万で北陸では初めて設立いたしました。
内装工事では県内No.1の会社が何故取引先お客様が同業になってライバルになる会社を設立したのか?同業者、建築業界、メーカ等から疑問視されましたが、私の人生観「一度限りの人生自分のやりたい事を思い切り正々堂々とやる」に添って創業会社を廃業する覚悟で決断しました。それには大きな3つの理由が有りました。
1番目(疑問)インテリア専門家はお客様の生活の一番近い所にいるから一番生活提案ができる立場である。
2番目(不満)それぞれの建築専門職はパートナーとして存在が絶対不可欠であるのに建築業者は下請的立場として扱う。
3番目(不安)取引先の中小建築業者、小零細工務店の殆んどが、「経営理念、ビジョン、人材育成」がなくて経営体質が不安定で倒産率が高い。
この3つを解決する為に私たちは、お客様、パートナーに対して「51対49の独自理論」を基に、目標とする5つの約束事
①パートナーさんは、年齢、立場関係なく全て「さん」つけで呼ぶ。
②お中元、お歳暮、交際飲食は全て禁止にします。
③決めた価格は一切値引きなく100%銀行振込にする。
④国、県、市等役所の入札には一切参加しない。
⑤我社はデザイン会社だから設計事務所等の仕事は一切引き受けない。
を決めて挑戦致しました。