住宅リフォーム業界に入ったきっかけ
住まいは横浜市にあり、大学では石油プラントの設計などを専攻する化学工学科に所属していました。当時は東大の大学紛争をはじめとする学生運動が盛んで、新宿駅西口騒乱事件などがありました。そんな時代で、学生生活4年間のうち約半年ほど学校が閉鎖されたように記憶しています。
登校ができないので、アルバイトでもしようと考え、大学の掲示板で見つけたのがT社で、関東地方の団地でのガス器具点検の仕事でした。最初は一件いくらの歩合制で一人で点検していましたが、忙しくなってきたため友人を誘い、元請けとなり3人で働くようになりました。東京・神奈川・埼玉方面の団地を中心に、主に土曜日と日曜日に点検を行いました。自分たちで訪問日程を立て、不在だった場合には再訪しました。当時の収入で月に約30万円ほどあったと記憶しています。
大学紛争が落ち着いた頃、同じゼミのスキーが上手な友人から、アルバイトでスキーバスの添乗員をやらないかと勧められました。仕事はお客様を案内することでしたので、スキーが全く滑れない私でも問題ありませんでした。朝にお客様をスキー場に送り出した後は夕食までの間が自由な時間となります。空いた時間でスキー教室に通い、程なく滑れるようになりました。不思議なもので滑れるようになると、こんなに面白いスポーツはないと感じ、虜になってしまいました。冬になると、正月や土日、連休、そして5月の連休は立山連峰まで遠征し、休みの日はほぼ自宅にいませんでした。アルバイトで得た収入のほとんどはスキー用具などに使ってしまいました。
大学を卒業する時、ガス器具点検のアルバイト先の専務から、入社の誘いを受けました。しかし私は大学で専攻した道を追求したいと考え、化学工学系のプラント会社に就職しました。しかし、一年くらい経った頃、自分が思っていたような業界ではないと感じるようになり、アルバイト先の専務に相談し、T社に転職を決めました。
新しい仕事は、ガス機器のメンテナンス、工事、販売などでした。T社で最初に担当したのがガス器具のルート営業でした。T社はガス器具メーカーであるガスターの全国1位の一次代理店で主に二次代理店への卸が主でした。今は少なくなりましたが、当時は二次代理店に対して「押し込み」いわゆる売上だけ挙げて、メーカーが預かる方式が主でした。多い時には一人で月1億円の売上で全営業所でトップになりました。
1980年代に、不動産大手のS社、M社、T社がリフォームの専門会社を設立すると発表がありました。そのうちS社とは、以前よりガス機器メーカーを通じて関わりがあり、私が水廻り部門の下請けとして担当しました。
当時は、木工事は工務店、内装は内装専門店、水廻りは当社というように分離発注が主流でした。私はS社の営業担当者と同行してカタログで商品説明をし、見積りを作成しました。相見積はほとんどなく、ほぼ100%受注できました。
1986年から1991年までの約4年間は、世の中はバブル景気で、不動産も広告が出るとすぐに売れ、売る物件がないほどの状態でした。
S社は中古不動産販売時のリフォーム工事が中心でしたが、買取再販事業が活発になり、今でいうリノベーション再販事業の先駆けでした。S社の担当者も一気に忙しくなり、下請けの分離発注では打合わせに手間がかかるため、当社に一括で請け負ってほしいと依頼されました。
それまで工務店と内装業者と一緒に、一つの物件を担当していましたので、なんとなく総合リフォームの認識はありました。さらに、空室リフォームなので、お施主様との打ち合わせを行う必要がなく、一括請負が可能でした。設計図面とプレゼンボードはS社の社員が作成し、私たちはそれに基づいて見積を作成し、決定したら商品と工事を手配するという下請業務が主でした。当時S社だけでなく、いくつかの大手リフォーム会社とも取引をしていましたが、不思議と競合することも相見積もありませんでした。この時期に、デザインや提案方法を、大手リフォーム会社から学ばせていただきました。
当時ガス風呂釜は、浴室内に設置されるバランス釜が主流で、ノーリツがバランス釜を浴室外に設置する「GRQ」という商品を新たに発売しました。これが大ヒットし、浴槽を大きなサイズにして、タイル工事もする浴室リフォームが増えてきました。これが浴室リフォームのはしりとなりました。
1980年代には、ユニットバスのメーカーであるセキスイの販売会社の下請けを始めました。S社で設置したマンションのユニットバス交換に伴うリフォームです。
ユニットバスの解体・組立はS社が行い、給排水・電気・木工事・内装・給湯器などは当社が請負う方式で、関東地域のマンションリフォームを手がけました。
当時、社員2名で月間3000万円程度の売上があり、会社では高収益部門でした。ある日、上司に呼ばれ、今とは全く関係のない部門の所長になってもらえないかと、人事異動の話がありました。私は上司に尋ねました、「私の担当している部門はどうなるのですか?」すると上司は、「君が行く先の部門の方が会社として重要だから、リフォームの部門を離れて新しい部署に移ってくれ」とのことでした。私は不本意ながら、上司と共にリフォームを請け負っていた大手元請に、頭を下げに行きました。自分自身では全く納得できませんでした。そんな時、父親が役員を務める地元の不動産と広告関連の会社の社長に話してくれました。社長からは「ウェルカムでリフォーム部門を立ち上げるので、ぜひ来てくれ」と言われました。
17年間勤めた会社が、リフォーム事業を行わない方針を明確にされたため、私は取引先や下請けの職人たちをすべて引き受けて、地元にある父のいる会社に転職しました。この新しい会社で約10年間勤めていたとき、不動産部門の業績が悪化し、倒産寸前になり支払いの遅れも出始めました。そしてその数ヶ月後には仕入れ先からの商品納入をストップされました。
やむにやまれず社員を解雇し、私はリフォーム部門の支払いを最後まで完了させました。幸いにも10年間を通じ、地元で元請けと下請けの比率が半々だったので、お客様もそのまま引き継いでいけそうでした。そのため、特に不安はなく独立を決心したのです。2003年1月のことでした。
1年後、地元のホームセンターの屋上にテナントとして店舗を構え、元請けの案件が80%以上になったところで、下請けの仕事はお断りすることにして、100%元請けのビジネスに転換しました。JERCO会員にも多く見られますが、新築からリフォームに参入した会社よりも、異業種や下請けからリフォームの元請けになった会社の方が成功しているように感じます。